4/22 この日は,快晴の上,前の日までのように wildly でもなく,本当に日本でならちょっと早い「五月晴れ」って感じの良い日でしたが,ここでも2箇所の世界遺産「頤和園」と「故宮博物館」に連れて行ってもらいました。

呉先生:本当にありがとうございました。
そして,ここは前の日までの「長城」や「明十三陵」に較べても莫大な数の観光客,修学旅行のような同じスポーツウェアーの高校生っぽい集団も何件か。まぁ,子供たちってのはどこでも同じで,喧騒と勝手気儘と傍若無人とって感じでは,ありましたけど。加えて,これまた中国各地からと思われる観光客もとってもたくさん,その中に,日本からのツアーや西欧やアメリカ(美国)からのツアーもあったようで,凄い人だかりでした。
東宮門から入って仁寿門を抜けて仁寿殿です。ここでは,西太后が外交・内務を行っていたとか。
西へ向けて楽寿堂の前を過ぎます。                西村先生も三浦先生も,撮影頑張ってます。
長廊に辿り着きます。園内で最も有名なものの一つだそうです。

約8000幅の絵が描かれている画廊のような長廊です。題材は古典や神話や歴史とのことです。
呉先生には office から電話が時々掛かって来てましたけど「大丈夫」って,ずっと案内をしてくださいました。
仏香閣の麓から山の方向は木々もあり鳥も居り,僕らは写真も撮り,してます。

長廊を半分ほど西に進みますと丁度 万寿山地区にの麓に辿り着き,そこからは本当なら排雲殿・仏香閣・宝雲閣などへと昇れるようになっているのですが,現在は,工事中で入れませんでした。下から見上げた仏香閣です。
対岸からの仏香閣の全景です。→
同じ辺り「雲輝玉宇」から,渡し舟があって,対岸の南湖島へ渡れます。これに乗りました。
頤和園は,西太后愛用の離宮であったわけで,中国で最大規模の皇室庭園とのことですが,本当に広いですし,中に,昆明湖とか南湖とか西湖とかもありますし,これが,また,この日は天候も良かったせいか,素晴らしい絶景でもありました。上段右から2番目はは,渡っていった南湖島の様子で,そこにも堂がありました(右端)。ここでは清朝末期,西太后は1835〜1908の生存ですから写真もありますし,また,The Last Emperor 清朝最後の皇帝・溥儀の時代にもかぶさってくるので,その写真などもありました。この辺りになると満州事変なども絡んできて,ちょっと複雑な心地もしないでも・・・・・でしたけれど。
南湖島と岸は十七孔橋で結ばれてます。九は古代において「陽数」として皇帝のみが使用できる数だったそうで,十七というのは,真ん中の孔からどちらに向かって数えても「九」になるってことだそうです。
島側の橋の袂には小さな堂もあり,岸側には銅牛があって1775年鋳造,牛は水を治めるものということらしいです。結構,写実的な牛でした。


知春亭;眺めのよい昆明湖の東岸の亭
南湖島から東岸を入った東宮門の方へ戻っていきます。この辺りにも幾つかの閣や堂があります。
・左写真の門をくぐって,園全体の北東部の外れに行くと,「園中の園」という趣の諧趣園があります。
・江南・無錫の「奇暢園」を真似た全体の中でいうと こじんまりとした 庭園ですが,日本人のせいか,この規模がちょっと丁度心地よい感じでもありました。柳も多く,時期的にも芽吹いた頃でしょうか,ちょっと美観地区めいた雰囲気もありました。
・地方から来ていた女性中心の集まりが皆で楽譜を見ながら何かずっと唄ってました。呉先生も知っている歌らしいでしたし,呉先生,「老後はあぁいう風に過ごせてもよいなぁ」って感じも云ってました。結構,中国の人は唄も好きなようで,前の日の運転手さんもずっと口ずさんでましたね。